霜降り明星は売れる理由しかない
彼らは弱冠25歳ながら漫才界のトップに立った
なぜ、彼らは優勝できたのか?
和牛とは何が違うのか?
考察していきたい。
1. ニュージャンル漫才
彼らの漫才は現代漫才の主流であるツッコミで笑いを取るものだ。ボケのせいやの言動からお客さんが思う1歩先のワードセンスでツッコミを取る。
しかし、彼らが圧倒的なのはボケ自体のレベルも高いということだ。
多くの場合、ボケをふりにしてツッコミという名の大ボケを持ってくることが多いが、彼らは違う。その点ではオールドタイプの漫才といってもいいかもしれない。
良く彼らを批判する時に、ボケの羅列、粗品のフリップ漫才などと揶揄されることもあるがこれは見当違いの批判である。
映画のジャンルに、コメディー、ドキュメンタリーとあるように手法が違うだけでお客さんを大きな意味で楽しませようとしているのに変わりはない。
漫才についてもそうである。でなければ、メイプル超合金や笑い飯が認められた説明もつかないだろう。
笑いを多くとることに意味の違いなどあるものか。
2 圧倒的若さ
近年のM-1グランプリ出場者は芸歴15年以内という制度のためか顔ぶれもあまり変わらず、芸歴の長い出場者が多かった。昨年にしてもそうである。
その中で霜降り明星はまさに異質であった。
若さと勢いで、この芸能界をひっくり返してやるという意気込みが見えるような漫才。
ちょうど、世間や多くのお笑い好きが待ち望んでいたものであっただろう。
予選の順番も良かった。ラスト前の彼らはそれまでの暗い雰囲気を盛り返し、その日最高得点を得たのだ。ずっと溜まっていたお客さんの笑いたいストレスを解消してくれた。
3. 才能
才能と名を打ったが、多くの人が使う才能のそれではない。彼らは、多くの人に才能のすごいコンビだと思わせることができたということだ。
若くして、M-1決勝、レギュラーもある、さらに粗品に至っては19歳でオールザッツ優勝。
この経歴を持った彼らを才能がないという人はいないだろう。そうさせた彼らの戦略勝ちなのだ。
実は、お笑い芸人は立ち振る舞いと、見られ方がとても重要である。狩野英孝が昔はネタで評価されてたことを知らない人も多いだろう。それだけテレビでの扱われ方は大切である。
面白くないいじりをされるということは面白くない奴としてみられるということなのだ。もちろん、それが良い風に作用することもあるが。
彼らは、才能がすごく安易にコケにするコンビではないと先輩、後輩、同期から思わせた。
見えない力が強い日本で、日本独特の文化であるお笑いでは、見られ方がとても大事である。
彼らは、戦略か偶然かはたまた必然かそういう扱いとなった。これはとてもでかい。
霜降り明星というコンビは、
粗品という天才に、せいやという奇才が加わってできたものであり、そこに運と必然から成るものなのだ。